Büchermemorandum
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- Tue, 3 Aug 2010 15:20:01
- 2010年一学期に読んだ本で面白かったもの。
辻原登「闇の奥」
辻原登「許されざる者(上下)」
クレメンスマイヤー[夜と灯りと」(翻訳)
高橋源一郎「悪と戦う」
丸山健二「田舎暮らしに殺されない法」
丸山健二「猿の詩集(上下)」
マイケルマイヤー「1989世界を変えた年」(翻訳)
吉田健一全集第十一巻(文句の言ひどほし、書き捨てた言葉)
吉田健一全集第十四巻(怪物、文学の楽しみ)
- Wed, 10 Feb 2010 22:44:00
- 一月。今年はあまり本を購入しないでいこうと思っていたのだが、新聞の広告で存在を
知り速攻で一冊目…なんとあの「みすず書房」からでたオシム本を買ってしまった。
これは当時オシムの通訳をしていた人間が書いたもの.
裏話だけでなくオシムという偉大な人間に触れることのできるいい本であった。
私はテレビ越しに通訳の格好を(外観だけで当時判断し)見て
もうちょっと何とかならないか?
もう少しオシムにふさわしい通訳はいるのではないかと思っていた。
ある試合のハーフタイムに通訳が泣き出したという記事を読んでさもありなん、と
思った。
(2007年日本対カタール戦のハーフタイム…で今回これを書くためにネットで
調べてみたらこの御仁2006年のイエメン戦でも泣いていた)
ところがどっこい彼はフスバル経験もあり本文からは優しい人格が溢れでている。
再読に値する本だ。
何故こんな事を今日書いているかというと今晩あるサイトで見たドイツ語通訳の姿に
びっくりしたからなのだ。(YouTube)
現在の浦和レッズの通訳の方は本当にうまい。
しかし今日見たものは浦和からドイツのDuisburgに移籍した安藤のドイツでの記者会見。
若い日本人女性が通訳をしていたがめちゃめちゃ端折っていた。
安藤はもっと丁寧に話をしていたのに6割くらいしか通訳をしていなかった。
しかも大切な所を思いっきり聞き逃していて周りに聞く始末。
あんなんがまかり通っていいのだろうか?
私も今日勤め先でさっと通訳を求められ(日本語→ドイツ語)たが知っているはずの
基本語のドイツ語が出てこなかったので自戒の念を込めて…
本人も言っていたが早く自分でドイツ語を学んで
一日も早く彼女(通訳)と別れることを。
ちなみに安藤は浦和レッズレディースの選手なんで、その点よろしく。
- Mon, 9 Feb 2009 22:56:10
- 先日模擬試験の監督をした時現代国語の設問を読んだ。
結構いい文章だったので今日は出題された親本を川越で注文した。
そうそう何故こちらに日常に起こったことを書いたかというと
昨年のスカ本も上げておかないと不公平だと思ったからである。
2008年スカ大賞
なにもかも小林秀雄に教わった
木田元
この本は著者が
「私は何もかも小林に…と思っていたのだがよく考えると違った。
というタイトルに嘘ありのトンでも本だった。
まあでも他の部分で木田先生のことがよくわかり益したところもあったのだけど。
ちなみに今節もBremenは負けた。
- Fri, 6 Feb 2009 23:26:02
- 一月の読書からよかったものを、数点
早く昔になればいい
久世光彦
この本はどうして買ったのだろう?
先日バーコードリーダーを購入し自宅の本を整理しようとピッピッと処理をしていたら
自分の書棚の中にあった。まったく買った覚えがない。
がしかし好きな作家だったのでさもありなんである。
私がどこかで購入したのであろう。表紙がとても妖しい。和服を着た狂女の絵である。
裏表紙にちょっとした内容が記されているが、この内容では若い頃なら
まず私が手に取る類の本ではない、と思う。
でもここにある。
こういうところが年を重ねることの不思議さというか面白いところだ。
さて私が手に取らなかったであろう理由である事件は実は最初の章で終わってしまう。
これから小説が始まるのにこれから先、物語はどうなるのだろう?
と思いながらいろいろなことが起こりいろいろなことがわかり進行していく。
著者は残念ながら数年前に亡くなっており
(つい先日も絶筆になった未完の「内田百閨v本が文庫ででていたが)
新作は読めないが遺したいくつかの作品は読んでいこうと思う。
完全恋愛
牧薩次
この本を購入したのはおそらく一年ほど前のこと。
ある作家は私が愛聴しているラジオ番組にゲストで出演していた。
番組の最後にラジオパーソナリティーに水を向けられ近々新作を出すと言っていた。
題名はちょっと気恥ずかしい感じがするが発売日にすぐに買った。
まだ積ん読状態の時の昨年三月、若い(年頃の)友人が数人部屋に遊びに来て、
この本を見つけ私は吊し上げられた。
「いやいや諸君が思っている内容の本ではないのだよ」
と読んでもいないのに説明した。ある程度説明できるのである。
そのある作家は私が小学校高学年から中学校高校大学初期まで
作品全て読んできたこの作家(ではないのだが)だったからである。
今ちょっとwikiで調べてみるとこの作家は当たり前のように
その後もずっと書き続けていたのである。
私がそう訝ったのには理由があってこの作家は物書きの他にも別の分野で仕事を
しているのである。
何度か途中まで読んでは最初に戻って読み返したりしていたのだが
一昨日約450ページを読了した。
(この本にはこの手の小説には長い正味一週間ぐらいかかってしまったと思う…
あまり読了したくなかったのだ。)
この作家(ではないのだが)を初めて読む人にも十分面白さは伝わると思う。
一応私は一時期(といっても結構長い間だが)読み続けていたので多少は内容を
予想しながら読み進めた。
書棚から地図を取り出し場所を想像したり仕掛けを想像しながら楽しんだ。
低いかも知れないが3割弱くらいは物語の瑣末な部分で筋が当たっていた。
(ように思う)。
だがさすが08年の「このミステリーがすごい」国内三位に入っただけあった。
ちょっと想像以上のものがあった。
ここまで「作家(ではないのだが)」を連発して書いてきたが牧薩次は
実はこの小説家のあるシリーズものの中の主人公の名前である。
小説の中の主人公にこの作家は本を書かせたのである。
それがあのしつこい書き方の理由である。
小説家の本名はネットで検索すればすぐに出てくると思うが
ヒントは「まきさつじ」である。
私にとって牧薩次という漢字の並びはとても懐かしいものだった。
ps先日作家の泡坂妻夫(あわさかつまお)氏が亡くなった
が彼の本名は厚川昌夫(あつかわまさお)さんであった。
彼は東京神田の紋章上絵師(和服の家紋を描く職人の家)に生まれたらしいのだが、
そういえばまったく同じ職種の職人の登場人物が上に記した
「早く昔に…」に出ていた。
白川静-漢字の世界観
松岡正剛
以前からこの種の本があったら読もうと思っていた。
すぐに読み終えた。やはり本物は違うと思った。
東洋文庫に入っている(た?)白川本を古本で持っているが
再読しようという気にさせてくれた。
広く読まれることを期待する。
漢和辞典に訊け!
円満字二郎
上の本に釣られて買った本。
だいたい私はタイトルに「!」の付いている本は好かんのだが
筑摩新書のフォントは私の好きな印字なのである。
美しさに負けてしまった。ただ収穫もあり。
- Tue, 22 Apr 2008 20:22:32
- 久々にこのページに書き込みますがこの1年半まったく読書をしていないわけ
ではないので誤解のなきよう。
昨日ゲーテのWilhelm Meisters Lehrjahreを読了。
上中下の三巻本で2000年に購入。その当時は40ページほど読んで投げ出した。
しかし一週間ほど前に何気なく本棚を見て手にとって読み進めるとぐいぐい
と引き込まれあっという間に読んでしまった。
なにぶん登場人物が多いので何度も確認しながらだったがもう一度読み返さなければ
真のおもしろさは味わえないのだと思う。
近日中にepigonenの所も更新できると思う。
- 18.Okt.2006
- とうとう「李歐」を読み終わってしまった。
スケールが大きくて怖い感じがした。
坊ちゃん宰相が小泉君の後に中国に歓待されたりしたがそのへんのあたりの
事情もこの小説と某情報でなんとなく納得。
著者も記しているように登場人物は関係性の中で性格付けをされている。
男を描けてないと言えばそうかもしれないが
しかしそれにもかかわらず私の知らない世界を十分に現実感をもって堪能させてくれた。
例によって結末近くなると人が死ぬのが難点だがこの物語の展開上は必要かもしれない。
テーマの選び方を私は著者の出身地や略歴と多少関係があるのかと思った。
この人の出身大学には縁あって何度か行ったことがあるがまあ学生の国籍がmixedなのだ。
小さい頃推理小説で読書の楽しみを知った私だがお年頃のときにこの種の小説は
低俗なのではないかと思い離れっぱなしでいた。
高級なものに憧れていたのだろうか?それはないと思うが。。。
しかしながらこの秋に読んだこの人の作品を読み、回帰しそうな感じである。
三つ子の魂ではないがこれは私の趣向なので仕方がない。
急いでつけ加えると低俗でもいいじゃないかという気がする。
先達が書いた文字の芸術に、ある種の幻想を持っていたのだと思う。
純文学(といわれる作品で、しかももてはやされているもの)で箸にも棒にもかからぬ
スカスカ小説は結構多い。私はその辺の感覚は自分を信頼している。。
- Tue, 17 Oct 2006 23:00:21
- 最後にこのページに手を入れてからはや一年が経とうとしている。
今日の所は自分用のメモ用に。
この秋は高村薫を読んでいる。
「レディージョーカー」、「半眼訥々」、現在は「李歐」
「レディージョーカー」はグリコ森永事件を思わせる内容の長い小説。上下二段組み
で上下巻合わせて900ページほどのものだったがすぐに読み終わった。
最後ちょっとよくわからないところもあったがエンターテイメントとして読むには
満足である。
「半眼訥々」は新聞の批評コラムを集めたもの。
面白く読めた。特に東京と大阪の湾岸地域に関する考え方の違いについては
学ぶところが多かった。偶然本日の東京新聞夕刊にも「二つの死刑」
(幼女殺人・地下鉄サリン)について寄稿していたが彼女の意見には頷くところが多し。
「李歐」は全521ページのところただ今421ページ目。読み終わるのがもったいない。
読もうかな、ちょっと取っておくかな?
- 03.Nov.2005
- 文化の日らしく過ごした。
法政大学で開かれた日独文学シンポジウム初日(一部二部)を見に行ったのだ。
最初に主催者や後援者の挨拶があり第一部のテーマは「トポス」。
しかしなかなかテーマが噛み合わない。何かしらの議論をするためにはその言葉の定義を最初にせねばならない
という基本を思い出させてくれた。それが収穫ってわけではないけれども。参加者は
日本側
高橋源一郎(司会)
風邪をひいていたという事もあったが司会役としては不適切で残念ながらまったくなっていなかった。
所々あった通訳のまずさを差し引いても、テーマにまったく言及することなく終わってしまった感じがする。
第一部と二部の間の休憩時間にドイツ人の友人と話したのだがその人も同意見だった。
私としては源ちゃんを弁護したかったのだが、私の苦手な方の源一郎さん(の一面)が出てしまった日だった。
一応評論も含めてほぼ全ての作品を読んでいるのですが、私は。
ホントはこの人は天才なのですよ。と言いたかったのだがあれではちょっと…
他の人が発言しているときに鼻をすする音をマイクが拾っていた。
水色とピンクのかわいいハンカチで始終鼻をかんでいた。
彼の朗読した作品の独訳が無かったらしい(3日後に友人からのメールで知った)がそれでよかった。
あれが翻訳されていたら…
川上弘美
新聞などで見る写真通りの綺麗な人だった。背が高かった。
始終俯いていて好感のもてる感じ。司会者からは「酒がめっぽう強い」と紹介されたがそうは見えない。
「朗読は下手だな」と思いながら聴いていたが、あとで自作の朗読が初体験だと言っていた。なるほど。
この作家は私が好きな久世光彦のお気に入りの作家なのでいずれは読んでみたいと思っていたのだ。
平野啓一郎
この作家は今日一番印象に残った人物であった。
この日は黒いジーンズに黒いシャツ。紹介される前に私の右側のちょっと遠くにかったるそうに出番を待っていた。
そもそも私は、彼は若いしデビュー作のことを考えると生意気な作家なのではないか?と疑念を持っていたのだ。
しかしこの日の集いのために一番勉強していると感じた。
相手に質問する内容や応答にもキレがあった。読んでみようと思った。
朗読した作品も戦略的に計算されたものであった。
アフリカのどこかしらの国の間で起こっている話。
敵の国が相手国の兵士の手足を切る→国に戻って治療を受ける→(そんな帰還兵士ばかり作り)相手国を破綻させる。
という物語。なんかすごいぞ。ホントかよ
ドイツ側
Kathrin Röggla
オーストリア出身だというが訛はなかった。
司会の源ちゃんに作品を誤読されて鳴きそうになっていた。
すかさず隣のSchultze氏が慰めに肩をさすってあげていた。
私は通訳にも問題があったのではないかと思う。この日の二部や翌日の4部では通訳は格段に良くなっていた。
声が同じだったので同一人物だと思うがおそらく最初にウォーミングアップされていなかったのだろう。
壇上で一番表情がころころと変わった作家だった。(やっぱり通訳の問題だったのだろう)
Ingo Schultze
好人物でユーモアも解した。ドレスデン出身で誠実な印象を受けた。
二部との間の休み時間にホールで彼の本を買うとすーっと寄ってきてくれて(頼みもしないのに)サインをしてくれた。
もちろん嬉しかったのだぞ、私は。(頼みも…)は。名前と日付入りである。彼の作品はまだ邦訳されていない。
この日私は12時半に着いて6時半まで休憩時間を除いてずーっと座っていた。
時間を感じさせない楽しいものだった。日本側の作家にはちょっと後にコメントしたい事があるがドイツ側は
(さすがドイツ人)準備をよくしていたと思う。
文学小説一般が好きに生まれて良かったと感じたと同時に「まじめに生きなくてはいけない」と思った一日であった。
そもそも私は今日高橋源一郎や島田雅彦を見に来たのだ。
(ミーハーだけれども…島田の高校時代に書いた原稿のコピーも持っているし。)
しかしそのことを忘れさせるほどの他作家さん達との出会いだった。
続きはまた後日。
結局私は翌日の第四部も見に行きました。
両日とも日本語とドイツ語が聞けるように日本人がしゃべっているときはドイツ語Chをドイツ人が
話しているときは日本語Chに通訳イヤホンを切り替えて聴いていました。勉強になりました。
- 26.Mär.2005
- ワイルドスワン読了。
- 04.Mär.2005
- 某夕刊の世界の文学ドイツ欄に、
スイスの作家、マックス・フリッシュの「我が名はガンテンバイン」が未邦訳
とあったが嘘っぱちである。私は邦訳を持っている。(大昔神保町の古本屋で見つけて買った…高かった)
おそらく絶版だが。先頃亡くなったN.K氏の訳である。原書も持っているが翻訳は難しいと思われ…
- 15.Feb.2005
- 昨日から「Wild Swans」とプラトンの「国家」(何度目だろう)を読んでいる。
ワイルドスワンに関しては今更っという感じもあるが私は歴史の勉強をさぼってきたし
今まで縁がなかったので謙虚に読もうと思っている。
実は数年前ベルリンのM嬢から薦められていた本でもある。
昨日周りの何人かの同僚に尋ねたらみんな読んでいた。それほどのベストセラーだった(らしい)のだ。
一月の収穫は藤澤周平の「蝉しぐれ」、山崎豊子「大地の子」、「『大地の子』と私」。
期待はずれは、、やめておこう。(専門書数冊だ)。
最初私のサイトを立ち上げるときに一番書きたかったのがこのページだったにも関わらず
満足な書評を書くことが出来なかったので今までついつい更新が滞ってしまった。
今年は第一歩としてとりあえず満足だった本の書名だけでもここにアップしようと思う。
一月は休みが多かったせいもあり普段より読んだが、単行本で1000頁以上ある「大地の子」の書評なんて私にはなかなか出来ません。。
- 10.Feb.2005
- 根拠がない感想だが女性作家だから書ける物語だと思った。
「大地の子」山崎豊子、私遅まきながら本日読了しました。
ビデオ以上に良かった。フィクションの部分はあるが個々人に巣くう
業、人格の描写や思想による性格付けなどはよく考えられているな、と思った。
本名は出していないがそれとなく中国の政治家や日本の経済人なども分かるように
なっている。私はビデオを鑑賞した後『「大地の子」と私』という本を読んだが
こちらも良かった。本当のことが書いてある本は気持ちのいいものだ。
- 28.Sep.2004
- 東京新聞の夕刊に春樹くんの書評がでる。私はこの書評子を信頼しているのだが
持ち上げている所を除いてやはり私と同じ感想を持ったようだ。
曰く「読者が置いてきぼり。」普通そういう感想を持つだろ。
たいてい(月)一回に4人ほどの作品の書評をするのだが今回は村上くんの作品だけ。
同じ連載で単行本になった(上下巻小さい字で一巻4500円近くする)中では相当厳しい
ことを書いていたが。。。まあ私でもこれくらいのスペースは割くかな。
下手ではないから。。
偉そうか。。。。私。
追記:(東京新聞より)
…顛末をすっかり語るなどというのでなく、それは暗示的にでもどこかに埋め込む必要があるのではないか。
読者を宙吊りにする謎をいくつも仕掛けて小説的な興趣を作り出すことと、小説のなかに仕組まれた平行的な
筋道を読者が統合できるように、しかるべき手がかりを布置することとは、おのずから別である。…やはり大事な
作品であるのに変わりはない。…現代を生きる難しさのある種の断面に向かって、ここには確かな視線が走っている。
- 13.Sep.2004
- いや村上春樹の新作を先週読み終わったけれども…
なんかやはり放り出されてスカスカって言う感じだったな。
直前にインテリ源ちゃんの大作を読んだからかもわからんが。
まあ不思議な読後感が残ったので何かしら掴めたらアップする予定。
三人称の語り手を取り入れる事によって丸健に近い雰囲気になった。
それと主人公(いや特定しにくいのだけれども)とその姉の会話に
今ひとつリアリティーを感じることができなかった。
- 04.Mai.2004
- 先日買った「池内紀の仕事場3 カフカを読む」を読む。
なんか読んだことある文章ばかりだと思ったら、今まで出した
彼のカフカ本三冊の統合版だった。(多少加筆有)。
すべて持ってるし読んだし。
定価2800円+税 みすず書房め。。。。
- 03.Mai.2004
- これだけこの欄の更新が滞ってしまうと
「こいつは読書してんのか?」
って思われてしまう。まあいいんですけど、ちょっと癪である。
いろいろと読んでいるのですがこの欄に書くレベルに達していないのですよ。
私の草稿が。
ちなみに今は何を読んでいるかというと
プラトンの「国家」(上)
ドストエフスキーの「罪と罰」(これは3回目)
新書3冊
ていうか読み終えた本もかなりありますがここにアップするほどではないのです。
結局クダラナイ本は取り上げないし、イイ本は「読め!」ってことになりますな。
でも私もすこしは電子な世の中に自分の足跡をつけて汚したいのでアップしますよ。
- 24.Apr.2004
- こっそり更新。
私は新作が出るたびに必ず読むという種類の著者が4人いる。
昨年その内の一人が後のベストセラーになった。
私は「あっ。この本は誤解されるな」と思った。
案の定誤解されたようだ。
先日出版された新作の序文に誤解された顛末が(筋違いの質問の数々が寄せられたそうだ。
いやここでの書き方も彼特有の韜晦癖が邪魔して真意は伝わっていないだろう。)
記されていた。
半分は著者自身の責任としても、
人間はわかりたいことをわかりたいようにしか理解しないという典型的な例。
- 28.Jan.2004
- 「たそがれ清兵衛」が「第76回アカデミー賞」外国語映画賞にノミネート。
なんでこの欄に?とお思いの方もおられるだろうが、藤澤周平ですよ原作は。。
私は昨年独りで一月の二十日(確か)に埼玉で見ました。
原作がよかったのだ、原作が。私はあそこに出ていた俳優女優は好かん。監督は別。
- 130回芥川賞16.Jan.2004記す。
- 私は最近若い人の作品を読まない。
だから綿矢さんたちのことは知らない。
でも一番文学を感じたのは丸健(丸山健二)の言葉。
彼の随筆や長編はまあまあ読んでいる。
おそらく半分くらいは。
丸健37年間芥川賞最年少受賞者と言われた男。
私はああいう男が好きなのだ。読むべし。
- 「白痴」についてもう少し。26.Dez.2003
- 白痴(ちなみにこの単語は差別用語か私の使っているFepでは一発で出てこない。私はこの手の単語を
辞書登録するのはあまり好きではないのだがやむを得ず。。)日本語の翻訳で1200ページあまりある本を
簡単にまとめるのは容易ではない。感じたことをいくつか。
まずドストエフスキーの饒舌さ。これだけの登場人物が現れているのにひとりひとり個性がある。
彼らは一人の作者から出てきたものである。また不思議なことなのだが伯爵の描写よりも脇役の方が印象深い
人物が多い。個人的な知り合いにはなりたくないがこういう人物は実際にいそうだという人物をうまく描いている。
今年読んだドストエフスキーの長編の中でおそらく一番最初に再読するとしたら「悪霊 Böse Geister」だと
思う。私はこういう毒の強い作品は大好きなのだ。
もちろん私はここBüchermemorandumに挙げた本以外にも随筆(主に故人の)をおそらく平均よりは多く読んでいると思う。
(皆さん仕事が忙しそうですが私はそうでもないので。。。悲しいことでもありますが。。。)
そうした読んだ優れた作品の中に「はっと」思わせる語句に出会う。おそらく一般の人がはまる箇所とは違うのだろうが。
「世の中にある数多くの出版物は良書を隠す邪魔本でその多くは不要である。(←正確ではないがこんな感じ)」
また私はたびたびいろいろな部位の体調不良に陥るのだそうしたときには瞑想関係の本を読む。この10日間は2冊
集中して読んだ。私は今この文章を午前中に書いているのだがこれから原生林のある場所に行って深呼吸をしてきたいと
思っている。こうした行動などはおそらくそれらの本と無関係ではない。精神関係や心の話になるとまだまだこの国には
偏見があるので(ごく親しい友人を除いて)誰にも知らせない。私に何かあったときは彼がヒントを与えてくれるであろう。
- 「白痴」を読了 19.Dez.2003
- すべて読了した。最後はちょっと驚きの終わり方だったが。。。先日DVDを発見。どうやって映画化したのか?
白痴の伯爵が大活躍。ちょっとあこがれるよ。この伯爵。「カラマーゾフの兄弟」のミーシャのようだ。
美しい魂が欲しい。
- 道半ば 20.Nov.2003記
- 「白痴」Fyodor Mikhailovich Dostoyevskyやっと600ページの上巻を読了。今日は眠い。
- 「わかりやすいことは本当にいいことなのか?」 30.Okt.2003記・04.Nov.2003改
- と現代の社会に警鐘を鳴らしたのは、ドイツの哲学者のノルベルト・ホルツである。
われわれの周りには、<わかりやすい>という標語が溢れている。わかりやすい政治、
わかりやすいコンピュータなどである。しかし、ボルツは、わかりやすいということは
わかりにくいことを隠すことだと言う。
本当は、政治やコンピュータは複雑なものだ。それをわかりやすくすることは、われわれ
の眼前から、複雑でわかりにくい本当の部分を隠していることだという。そして、わかりにくい
部分をわかろうとする努力を放棄することは、現代人の今後の決定的な課題となる。
一般には、わかりやすいことのほうが、ヒューマンでいいことなのだと思われがちであるが
それは一部の為政者や機械の罠ではないだろうか。自分の努力で、もう少しわかりにくい
部分をそれなりにわかろうとしないと、本質からは、どんどん遠ざかることになる。
実は<やさしい><安心・安全>などこの手の言葉の誘惑は、人間の自分中心主義が根元にある。
自らが、理解した上で、やさしさを獲得し、自らの手で安心・安全を獲得しないといけないのだが
それは他人がしてくれるものであって、自分はそれを享受すればいいということが根底にあるのだ。
安全保障の問題も同様で。。
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っとこれは安全保障に関して書かれたものだが、私はいろいろなことにいえると思う。
今本が売れているY氏も言っている。
学生「わかりやすく説明してください。」
教員「わかりやすく説明すればあなたはわかるのか?」
- 長いけど面白い 06.Jun.2003記
- Fyodor Mikhailovich Dostoyevskyの「カラマーゾフの兄弟」やっと第一部を読み終わる。長い。でも
読め通せる気がする。今年の目標はあと「白痴」を読むこと。
- 久しぶりにPoeを読んで 25.Mai.2003記
- やはり傑作だと思った。おいたったこれだけかよ!まあまあとりあえず今日のところは。
とりあえずすべてのページアップしたかったし。ちなみに読んだものは岩波の「黒猫・モルグ街の殺人事件/その他五編」