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Reisetagebuch oder 旅日記

17.Aug.2010

16.Aug.2010

ハンブルク、スパで最初の買い物の中から
ライスチョコレートみたい

15.Aug.2010

チュービンゲン
相変わらず綺麗


ここはシュツットガルト
これはシュツットガルト

14.Aug.2010

ホーエンツォルレン城
プロイセンの源


遠景
遠くから

13.Aug.2010

ドバイの空港です↓
外は暑い。綺麗な空港

28.Jul.2010
K嬢の弟ヘンドリックくんと草津へ。
K嬢は二日後に二年滞在した日本から帰国するi嬢の送別会の準備のために行けなかった。
渋滞もなく日帰りで十分案内できた。白根山と西の河原へ行った。
それほど遅くならなかったのでi嬢の送別会場に直接飛び入り参加。
この仕事をしていると結構頻繁に別れはある。この日もそのうちの一回だったのだが
全然慣れない。
天気がよくてよかった

05.Apr.2009
とうとう出発の日である。
私は昼間に散歩がてら唐子鍵遺跡を見に行く。
ほぼ満開
四国に行く前よりも桜は綺麗に咲いており遺跡の脇では
大勢の人が花見をしていた。
奈良の伯母の所には今まで何度もお世話になっているのだが
この遺跡に来たのは初めてだった。
国道を造る際に調査が行われたらしく説明書きが親切であった。
夕方の17時頃に奈良を出発。
瀬戸大橋以外は高速料金を払うまいと思っていたが知らぬまに八王子バイパスに
入ってしまい250円取られる。
翌06日の早朝帰宅。
お約束通り朝いっぱいやり夕方父を交えた四人で近所の温泉へ

04.Apr.2009
松山市に入って少しして再び運転を代わり鳴門に向かう。
途中何度か道ばたに停めて休憩。
高知の海岸沿いにはこれでもかこれでもか!と言うほど道の駅があったのだが
松山から新居浜そして徳島に向かう国道には全く無かった。
あったとしても右折して何キロとかいうものが二つほど。
しかし無事早朝鳴門に到着。此処にはお遍路さんのユニフォームが買える
寺があった。立派なお寺で、お遍路は途中で挫折する人もいるかも知れないが
必ず此処には来るという所。
さて鳴門市板東。ここも道の駅のひとつだった。
ここには第一次大戦でドイツ人捕虜が大勢いたところで
数年前「バルトの楽園」の撮影もあった。
日本で一番最初にベートーベンの第九が演奏された場所でも
ある。
指揮者
まだ店が開店する前だったので少し散歩をする。
小高い丘の上にドイツから贈られた鐘があった。
散歩途中に蔓に絡まれている桜があったのでナイフで落とす。
店に戻ってくると開店していた。叔父さんはソーセージを挟んだパンを
食す。私も少しお土産を購入。その後道の駅の人に魚が買える店を教えて
もらう。
ドイツ人が造ったという石橋がある「大麻比古神社」に寄ってから出発。
微妙
食材を買い足した後、ぎりぎりまで下を通り有料道路へ。
この日は千円で鳴門大橋を通れる日だったがリッチな我々は定額を払う。
優越感に浸りながら西宮へ向かう。これまで天気は良かったのだが
雨が降ってきた。神戸あたりから堺まで渋滞していたが無事奈良着。
奈良の伯母さん達が心配してくれていた。申し訳ない気持ち。
酒宴。

03.Apr.2009
二年前は逆に来たのだが今回は四国に船で渡る。
風が強かったので心配したが運行していた。
徳島でもレッテル付きの食料を買い込み海岸線を土佐の方に向けて走る。
途中道の駅薬王寺で休憩。薬王寺が厄よけの寺ということと桜がいかにも
美しかったので夜中だったが駆け上がってお参りしてきた。
夜中だったので少々怖かったが一人の若い青年が寺内の様々な場所で熱心に祈っていた。
何度も何度もいろいろなところを廻ってぶつぶつ祈っているので
てっきり「○き」の人ではないかと訝しがったがなるべく近づかないようにしていた。
車の中で休んでいた叔父と母に桜を見に行くように促す。
美しかった
薬王寺の麓にある道の駅に車を停めていたのだが結構遠くからの車も停まっていた。
欧州でよく見るキャンピングカーも停まっていた。トイレの脇には一人用のテントを
張って休んでいる強者もいた。
少しでも距離を稼ぎたかったので再び西へ

結局道の駅ならぬ室戸岬から少し先にある海の駅というところで夜を明かす。
室戸というと昔の台風の印象がありどんなところかと思ったが
海の近くなのに山も近くウグイスの声が聞こえた。
少し海辺を散歩して灯台へ。
思ったより小さい
薬王寺の道の駅駐車場で見かけた尾張から来たキャンピングカーが我々が灯台に
行っている間にすぐ脇に停まっていた。
中から出てきた人はお遍路さんの格好をしていた。
ここから後は(母の)買い物ツアーのようになってしまった。
道の駅があるごとに停まり、現地の農産物を大量に購入。
しかし国産の(当たり前だが)ニンニクや芋が安く地方はこういう値段なのか?
とも思った。我々が買い物をした道の駅ではお遍路さんを乗せたバス(ツアー?)も
停まりいろいろと買い物をしていたが、そういう欲を落とすことも遍路の
目的ではないのか?しかもバスで…中には椅子に座って煙草を吸っていた
女性の姿も。。。
私には辛いことも起こって荷物の整理をしていたら赤目四十八瀧で買ったお酒を
誤って割ってしまった。とてもいい香りがしていた。
しばらく走り、途中で
せっかく高知県に来たのだからお約束通りかつおを…と言うことになり、食した。
旨かった
叔父さんがお店と交渉してくれて100円の大盛り追加代金を払うことなく
大盛りなみの食事をすることが出来た。
デザートも付いており、全体的にも満足、美味しいと感じた。
広かった
その後桂浜を見て、町中で食材を買い足し、「雲の上温泉」に向かう。というのも
ここは夜遅くまで休憩できる事が分かっていたからである。
久しぶりに駐車場で宴会をしゆっくり風呂に入り
その後休憩所で時間ぎりぎりまで横になって休んでいた。
結構いいところでもう一度来てもいいと思った。今度は宿泊を。
温泉を出て少ししたらちょっと眠気が私を襲ったので初めて母に運転を代わってもらう。
ところが母が運転席に座ったとたん道が細くなり大変だった。道がどのように
曲がっているのか分からず行き止まりか?と思ったらほぼ直角のカーブだったり…
しかし何とか私は生まれて初めて愛媛県に足を踏み入れた。
とはいっても道後温泉も何も見ていない。
これも次回へのお楽しみ…

02.Apr.2009
久しぶりに白浜に泊まる。
夜中にとても風が強く、私は余りよく眠れなかった。
風は夜が明けても吹き続けた。
食事を摂ってお墓の掃除へ。
風のせいで寒かったがそれでも蚊がいないことはありがたい
草を毟っていると叔父さんが、
「前にここに来たときは真っ赤な彼岸花が咲いていて
その前を黒い蝶が飛んでいた」と
そうだった。そうだった。私もその光景を覚えている。
それからノンちゃんのお母さんにお墓守のお礼のご挨拶をする。

私はこの夏にパスポートの手続きをするために町役場へ
私の本籍はここなのである。
また昨年夏にパスポートが切れていることを失念して航空機のチケットを取った
弟に対して大至急戸籍抄本を横濱の彼の家に送ってくれた、S橋氏にもお礼を言った。
偶然私の手続きに対応してくれた方がS橋氏であった。

その役場で母にホームセンターの場所を聞いてもらう。
砂利を選んでお墓に敷いた。
これで草引きは楽になるだろう。
見栄えも良くなったし、いいことをしたと思っている。
お墓の住人、特にお爺さんお婆さんはどう思ってくれているだろうか?
風が強かったのでフェリーが運航されているか心配だったがとりあえず
和歌山に向かって北上する。
高校野球を聞きながら42号を走る。街道沿いの農家直営のミカン屋で
奈良の伯父が好きだという三宝柑を買う。
その後北上して分かったことだが、最初に買った紀南のお店が安く美味しかった。
彼は店を阪神グッズで覆いつくし、「箕島は飛んでもうた(負けた)」と。
和歌山近くでもう一度、直営店のような店に入ったが価格が全く違った。
紀北の人は…と

01.Apr.2009
私は旅行に行くと必ず便秘になる。
国内国外関係なくである。
そのためこの日は朝食を摂ってから散歩に出かける。
近鉄の岩見駅までてくてくと歩き30分ほど散歩をした。
近鉄電車
奈良は「建て倒れ」だそうだ。
特に駅の近くには立派な家が多い。
午前十一時頃伯母宅を出て龍神に向かう。
当初行こうとしていた道が土砂崩れで通行止めだったので回り道。
高野龍神スカイラインの護摩壇山で休憩。叔父さんにアイスを奢ってもらう。
ここで二年前もアイスを食した。
雪が降っていたので店員さんも我々が帰ったら店を閉めて下山すると言っていた。
紀州の山々は別世界である。護摩壇山は和歌山で一番高い山だったのだが
平成十二年に抜かれた。

護摩壇山は雪


近所の龍神岳が高いことがわかり一月前の3月3日に龍神岳の名前が決まった。
今年亡くなった伯父が好きだった桜を見に行った後お墓と仏壇に参らせてもらった。
美しかった。
従兄弟達も元気そうだった。実家から私はお線香とマッチを持って行っていたのだが
マッチの擦る部分が劣化しており点かなかった。(従兄弟にライターをもらった)
龍神から白浜に向かう途中、「とれとれ市場」に寄って江津良の家へ。
とれとれが閉店五分ほど前で上手くレッテル(50%off)付きの食事を買うことが出来た。
食材を冷蔵庫に入れ、白良湯へ。温泉の駐車場もうまく停めることが出来
その後元オークワ(今は名前が変わっている)でまたまたお飲み物やおつまみを
買い足し…宴会

31.März.2009
叔母さん宅裏手にある寺川(だったか?)の桜は6分咲き位だった。
この日は「三多気の桜名所公園」に桜を伯母、叔父、母と四人で見に行くが
思っていたより高い場所にあり全く咲いていなかった。
そこでみんな何故かツクシを採集し始めた。
少しして予定変更で赤目四十八滝へ。
本当にいい所でした。
私はこういうところが好きなのである。山と水が一緒になっている。
伯母さんは何度か来たことがあるらしかった。
私たちは何も知らず派手な黄色い服を着た男の人に誘導されるがまま、一番手前の
駐車場に車を止めてしまった。実際は滝入り口まではそこからさらに歩いて数分
行かなくてはならなかった。我々の停めた駐車場には数台車が留まっていたが
より滝に近い他の土産屋がやっている駐車場には一台も車が留まっていなかった。
みんなあの黄色い人にやられてしまった模様。
何はともあれそこで四時間ほど過ごしただろうか。
買わなかったけどさ
森林浴を十分にして土産屋で地酒を買うと店の人が桜のある場所を教えてくれ
その前で記念撮影。とても古い桜だそうだ。
ちょっと臭かった(肥料)
車に乗って少し帰り道を行くと地酒の蔵元がまだ営業中だったので生酒を購入。
母は酒粕を買っていた。埼玉に比べて格段に安かったそうな。
この蔵元の女将さんは感じのいい人で少しまけてくれた。
どこか温泉でも入って帰りたかったが遅くなるのでやめた。
楽しい一日であった。
夜はまたまた宴会。

29-30.März.2009
今年初めての貧乏旅行。
昨年は秋に行けなかったので久しぶりである。
夜11時過ぎに自宅を出発し16号を通り八王子-厚木-御殿場を抜け
ひたすら西へ。
東海道はバイパスが充実しているので(またETCはまだ持っていないので)
一般国道を走った。朝方に浜名湖近くにある湖西市の道の駅でで一休み。
人間みたい
名古屋、四日市あたりでもそれほど酷い渋滞には巻き込まれず無事に奈良の伯母宅
に到着。伯母さんはこの日(30日)用事があったのだがキャンセルしたらしく
夕方には自宅に。めちゃくちゃ上手くいったら甲子園で箕島高校の試合を観たかった
がそう上手くいくはずもなく(甲子園近くの駐車場まで調べておいたのだが)
叔父さんに天理から電話をしてもらいオークワで食材と
飲み物を買いお邪魔する。いつものことだが温かく迎えてくれた。
テレビ観戦で箕島高校を応援し
その後私は爆睡。

26.März.2009
同僚と千葉へ一泊旅行の二日目。 昨晩は「城崎源泉の湯」に泊まる。
自分の親くらいの先輩お二人と私の初期の教え子と同じくらいの
若い人たち二人と計五人で。
昨年は北へ…今年は南へ。
メンバーのうちの一人が12月に同じ宿に泊まっており
そのときの印象がとてもよかったので彼にとっては二度目だが
そこに泊まることになった。
結論から言うととても宿の人が丁寧でしかも食事が素晴らしかった。
一度両親を連れてきたいとも思った。
食事後はお風呂に入ったり持ち込んだ飲み物で宴会をやったりした。
12月にどのビールが自動販売機で売られていたか覚えていたので
それと同じものを大量に持ち込んでいたのだ。
先輩方はやりたい放題である。世の中の大半の人たちは年下だろうから…か?
メンバーのうち一人は全く飲めないのだが彼はよく付き合ってくれる。
またもう一人の若い人は僕よりも強かった。身体も小さいのに人は見かけによらない。
二日目は海岸線を通って帰ってきたが所々面白い道の駅や
漁港組合がやっている食堂にも寄った。そこで魚の干物を格安で買う。
おいしそう
千葉は和歌山と同じ名前である町がいくつかあるのだが
景色を眺めているとそれも納得できた。

07.Aug.2008
この夏二回目のBremen訪問。
Axelとは夕方18時に待ち合わせをした。
以前勤めていた学校を市電で街を一周しつつ訪れる。
事務棟は指定保存建造物なので変わっていなかったが
その他のものは変わりまくっていて面影も少なかった。
ただ敷地を囲んでいた柊の垣根が取り払われていて外からでも
簡単に中が眺められ、また公園のように整地されていたのは
嬉しいことだった。

直後突然の雷雨。
まあこれが北ドイツの天気のデフォルトだから仕方ないけど。

03.Aug.08
ハンブルクのエルベ川の船上でシュナイダー家と
娘たちの名付け親夫婦を招待し食事会。
シュナイダーさんの所の娘は二人が小さい頃の写真を強烈に覚えているので
年頃の娘さんたちにはどうしても見えない。
この日は食べ放題だったのだが父が私と母親にはそれを告げず。
父だけ朝食抜きで参加。
何故だ?
結構美味しかった。話も楽しかったし。

01.Aug.08
BremenでAxel, Sabine,Sophieと会う。
AxelはSabineとわたしが知り合いだと勘違いしていた。
写真で見たことがあったので「あ〜あの人か」と思った。
Bremenの天皇のお店(中華料理屋)で食事をする。
この日Lübeckから来たSabineと娘のSophieはお疲れでここで別れる。
その後居酒屋で飲むが22時を過ぎても明るいので危うく22:28のハンブルク行き
最終列車(Niedersachsen-Ticketはその1時間後のICEは乗れないため)に遅れる
所だった。タクシーに飛ばしてもらって何とか出発後分前に駅着。
やれやれ

Sabineは思った通りいい子だった。

30.Jul.08
ここ数年の習わし通りバンコク経由でドイツ入り。
やはりというかなんというか欧州入国時にはある種の人々の審査が長くかかる。
その辺は今でもかなり露骨である。

昨年は到着後にドイツの新幹線ICEの指定席をとってハンブルクに行ったが
(しかし預けた荷物がなかなか出てこず焦った記憶ありあり)
今年は予約無し。早朝フランクフルト着なので予約の必要無しと踏んだのだ。
結果的にはそれが正解し余裕で着席。四時間後にハンブルクに到着。
飛行機で隣になった夫婦はタイにダイビングに行っていたという。
彼女たちはフランクフルトからブレーメンまで飛行機だと言っていた。
私が電車で北上すると言うと驚いていたが
(東京→(6時間)→バンコク→(11時間超)→フランクフルト
→(四時間)→ハンブルク)
彼女たちもルフトハンザがストライキをしていたら自分たちも4時間かかる。
といって笑っていた。
さて昨年は昼にハンブルクについてすぐにベルリンに向かったのだが
今年は浦和レッズから移籍した長谷部くんに会いにヴォルフスブルクに行った。
なんて事無い小さな街だった。
ブレーメンに移籍しろよ!
ブレーメンの方が数倍いいと思った。

25.März.2008


03.Aug.2007
02.Aug.2007
01.Aug.2007
31.Jul.2007
30.Jul.2007
29.Jul.2007
バンコクの新しい空港





を経由して無事私たちはフランクフルト空港に
到着。しかし我々とあと4,5人の乗客の荷物が出てこない。クレームに行っても
「まだあなた方の便の荷物はあるから…」
というだけ。そうするうちに便の表示が次の飛行機
になってしまった。
なったとたんに無事出てきた。やれやれ。
前日の座席予約を予定到着時間+二時間後のICEにしておいて良かった。

三人での旅だったので座席を確保後食堂車へ。
同行の二人に旅の心構えを植え付けるべく、食べ物の注文でわざと私は一人先に
注文し彼らを放置した。
時間はかかったが二人とも無事におのおのの食糧を確保。

後ろで見ていた私は
別のアジア婦人がレジの人(名前は石男氏{Herr Steinmann})の
「Noch fünfzig Cent...fifty Cent!(もう五十セント)」というドイツ語&英語が
わからず自分の財布を開けて拝むように「ここから取ってくれ」言わんばかりに
差し出した様子を二人に話し「(支払いのやりとりは)あの女性よりはましだった」
とコメントした。
件の女性、テイクアウトでコーヒーを注文したらしいのだがビュッフェで食事をする
我々の前を通り過ぎる時
「あっちっち!あっちっち!」
日本人かよ!


昼頃ハンブルクに着き駅には父が迎えに来てくれていた。
我々は荷物を下ろすとジャーマンレールパスがまだ今日一日有効だからという
理由でベルリンに向かった。ベルリン行きのICEの車内でまた石男氏に出会う。
天気は雨だったが数時間散歩をした。私は新しくできたベルリン中央駅(今まで
こんな駅はなかった)を見ることができ大満足だった。


28.Jul.2007
いつもの事ながら徹夜で荷造り。
円安で直前に買ったジャーマンレールパスとの組み合わせで
フランクフルトからハンブルクまで座席予約をネットでする。
ここ数年レールパスなど買ったことなかったのだが一番安い
4日間のパスでも行き帰りのFrankfurt-Hamburg間の往復だけ使い
残りの二日間捨てても元が取れるので購入を決めた。
ネットで商品を買うのは初めてだったので何度も何度も細かい字で書かれた
ドイツ語を確認しつつ読んだ。
行きは最寄りの○戸駅からバスで成田へ。
熱い中、恐怖のポチ袋を持って妹夫婦が見送りに来てくれた。
ありがとう
バス予約客の一人がなかなか来ず5分遅れで出発。
成田に13時50分頃到着。
集合場所に14時に待ち合わせた叔父となかなか会えず焦る。
30分後なぜか声がかすれている叔父と合流。
「13時半には空港に来ていた」
との弁。顔は少し赤くほろ○いの様子。

Wed, 11 Jul 2007 23:31:35
小さな旅(メモ…後に更新予定)
 今日は研修日だった。前から見てみたかった「善き人のためのソナタ」を見に
高崎まで行った。初めて高崎を目標に当該駅で下車した。
新幹線も通っているし大きな町かと思って行ったがシャッターは閉まりまくりだった。
私の記憶だと寄居から八高線を通って高崎に向かうのは初体験だったと思う。
早起きして多少部屋で準備をし昨日98円で買った4房のバナナのうち一房を持って
出陣!

02-03.Jul.2007
学生時代のテニス部の友人に誘われて彼が所属している地域のテニスサークル合宿に
参加させてもらった。
場所は四万温泉。宿舎は偶然数年前家族で旅行したときの宿の道を挟んで正面だった。
メンバーは友人の義父(故人)が所属していたクラブだったので団塊の世代が多い。
私もいい歳なのだが参加した19人の中では最年少だった。
車四台で行ったのだが皆さんいい車に乗っている。
私が乗ったのは国産の車だったが7人乗りの大きな車だった。
他には北欧の車やら富士重工のふつう走り屋が乗る車やらであった。
昨年秋から二回ほど練習に参加させてもらっていたのだが初めて顔を合わせる人も
何人かいた。
試合はダブルスで主に4ゲーム先取で行われるのだが負けたら一人百円出すという
ルールだった。ペアの組み合わせを変えたり相手チームを変えたりしたのだが
この日はどういう訳か三連勝してしまった。二試合終わった後でビールを飲まされた
のだが冗談半分で彼らは私を負かすために呑ませたと言っていた。
4試合目には負けてしまった。
20年以上も続いている会らしいがまとめ役の方々が本当に良く動かれて運営されている
という印象を受けた。
夕方になってきてからサービスゲームが始まった。
これはサーブを入れるコート内に小さな枠をボールで囲みその中にサーブが入ったら
賞品がもらえるという企画だった。なかなか皆入らなかったのだがある時私は二回連続
で入れることができた。(後ろで見ていた友人が「一回目はフットフォルトだった。」
と言ったがそんなはずはない。)合宿には初めて参加させてもらったので小さく
していようと思ったのだが逆に目立つ結果になった。(結局成功したのは私だけだった。)
夜は食事後に宴会があった。食事の時に成績発表があり私は皆の前で簡単な挨拶
をした。

行きの車内で友人から「今日は二次会で特別な講演があるから…」
と聞いていた。私は何がなんだかわからなかったが二次会の会場が私が寝る部屋だった
ので様子を見ていた。すると全員が集まりこのテニスのサークルで一番年長の
人がレジュメを配り部屋の正面には題目を記した模造紙を貼った。
内容はここでは控えるが講演者の方は年下の団塊の世代の人々に正しく伝えたいことが
あったのだ。その後の質問時間には彼らは根本的な質問をした。私もふられたが
酔っていたしこの種の話はあまり得意ではないので上手に応えられなかった。
実はけんかにならないかハラハラしていたのだがさすがに大人の人たちだと思った。
私の日々の生活では年長者の方々と腹を割って話す機会がとても少ないのでテニス
も楽しかったのだが彼らと話すことも私には貴重だった。

帰りは川越駅まで送ってもらった。
しばらく日焼け&筋肉痛で苦しんだのは言うまでもない。
↓写真リンク
合宿の写真

「来年○さん(私の名字)が合宿に来なかったら今回のでこりごりだと思うからね!」
とか
「○さん(私の名字)、私たちテニスサークルを名乗っているけれども実は政治結社なんですよ。」
という冗談が印象に残った。。

07.Apr.2007
朝、隣のおじさんと話をする。
基本的には歳をとったくらいで変わっていない感じだが痩せたような気もする。
出発準備をしつつ再び庭のゴミなどを集める。
墓参り+墓掃除をする。私はあまりマジメに掃除の方はしなかったが
母と叔父さんは何かに取り憑かれているかのように草をひいていた。
取り憑かれていたと思う。私は一足先に江津良の浜に行きヤドカリを
からかって遊んでいた。水も綺麗で気持ちよかった。
白浜から今度は42号線を北上して行く。土曜日だったこともあり逆方向は渋滞していた。
仏壇を乗せてから運転がより慎重になった。
前に「Baby in Car」とか「子どもが乗っています」なんてシールが貼ってある車を
見ると、こっちは
「Butsudan in Car」とか「仏壇が寝ています」というシールを貼りたい気分になった。
とにかくゆっくりゆっくりと走るようになった。
我々が仏壇の世話にならないようにしなくてはならなかった。
奈良の伯母の所でそうめんをご馳走になり、少し休んでから出発。
まったく往路と同じルートで休み休み帰る。さすがに行きよりも休む回数は
多かった。
大きな渋滞に巻き込まれることもなく無事に翌日早朝5時に帰宅。
昼頃まで寝て、仏壇を出す。デジタルカメラで写真を撮っていたので
装飾の立ち位置はわかっていた。
その後、車内に掃除機をかけ洗車をして車を返しに行く。
姪の入園のようすを見せてもらってから温泉に行く。

06.Apr.2007
午前中に白浜に向けて出発。
高野龍神スカイラインを経由し護摩壇山の休憩所に一時頃到着。
アイスを叔父さんに買ってもらう。
叔父さんは休憩所の人と話をしていた。龍神の人が店員だったのだ。
山路の伯父さんのところに少し寄った。
昨秋よりも顔色が良かった。
仏壇を見せて貰ってから墓参りをした。しばらくして暇乞いをし、伯父さん
お気に入りの村の桜を見に行き
その桜を見ながらまたまたおにぎりを食す。
食後中辺路経由で白浜へ。
「よっしゃー」の土地を確認した後あたりから
天気が悪くなってきた。まずいつも駐車場を貸してくれる親戚の所に挨拶に行く。
相変わらず少し「横山やすし」が入っている感じ。
仏壇を運ぶことを告げるとしっかりと養生するように言われた。
暗くなる前に搬入せねばならぬと思い仏壇と対面するが一瞬考えていたより
大きくて車に入らないと思った。(三人とも思ったと思う)
仏壇の中にあるものや引き出しに入っている不要な物を全て整理して
車の後部座席を倒し、布団を車に敷き搬入。
これを書いている今、あのときの状況が蘇ってくる。
最初は全部の座席を倒していたのだが二席分だけにしゆっくりと作業をした。
仏壇は妙に頭の部分が重くどういうバランスなのかと思った。
それでも何とか全員車で帰還できそうに案配できた。
仏壇の大きさ次第では一人犠牲者が出るかと思ったのだ。
(犠牲者=バスもしくは電車で帰る)
ほっとしたのもつかの間、庭掃除を始める。
仕方のないことかも知れないが空き家にはいろいろなことがあるのだ。
夜は温泉に入りに行きビールをしこたま買い込み食事をして寝た。
結構早く寝入ることができた。

05.Apr.2007
今日は伯母さんも同乗してくれ四人で柳生へ行く。
芳徳寺の裏に一族の墓がまとまっている場所があり、その中で一人だけ
墓石が酒樽+徳利+お猪口の形をしたお墓があった。
酒好きだったのだろう。
山の中を歩きながら駐車場まで戻る。
車の中でおにぎりを食す。もうほとほと車の中でのおにぎりには飽きていたのだが…
帰りは月ヶ瀬温泉に入った。
焼酎とシールの付いた割引食材を買う。決断早し。
芳徳寺に記されていた言葉が印象に残った。
「光陰可惜 時不待人」

04.Apr.2007
今日は叔父&母と十津川村に行く。
私の叔父さんが一度も来たことがないということだったので
南下して行った。途中橿原の町中で一度迷った。ここは前回も道を間違った所だ。
それでも昼頃には西吉野に入ることができた。
しつこいようだがとにかく山を見上げても道沿いにしても桜が美しかった。
まず「谷瀬の吊り橋」を目標に車を走らせた。

谷瀬の吊り橋

天気もよく駐車場に車を停めて往復する。私は20年ほど前に大学時代の友人を連れて
来たことがあった。そのときに橋を渡るのに500円を払った記憶があったのだが
そのお金は駐車代だったようだ。20年前と違ったのは橋の上から河原を見ると
所々白い石を並べて文字やメッセージが書かれていたことだ。これは昔はなかった。
駐車場の係員の人の話だと村内で少し前に土砂崩れがあって一人亡くなったとのこと。
これから奥地に行こうと思っているのに嫌なことを聞いたと思った。
(谷瀬では天気が良かったから悪気は無かったのだろうが夕方から天気が悪くなって
きたのだ)
ここからもう少し南下して温泉へ。

十津川温泉


途中村役場のあるところで足湯に浸かっているとカメラマンが来て撮影依頼。
(一昨年の同じメンバーでの旅行でも「るるぶ」のカメラマンが写真を撮り
見事叔父さんと母が「るるぶ北東北」に掲載された。)
雑誌大人組の撮影だということ。ネットで確認すると関西版と関東版がある模様。
足湯特集の時に買ってみようかしら。
足湯に浸かっていると雪が降ってきた。ちょっとビックリ。四月でも降るんだ。
そこにある道の駅で半額シールの付いた豆腐を買い食す。
二時間弱ほどはしりダムの脇の温泉を楽しむ。空いていて貸し切り状態だ。
番頭の人が親切でいろいろと説明してくれた「手湯」もあることを。
彼の推薦で帰る途中に「笹の滝」に寄った。
薄暗くなってきて時雨れも降ってきた。
しかし足をのばしただけあって素晴らしかった。
足下が悪く滑って転んだメンバーもいたが…
天気の良いときにもう一度来たいと思った。
山から抜ける帰り道に道の両脇に雪が積もっていた。
おそらくわれわれが滝を見ている頃にこの辺では雪が降ったのだろう。

伯母さん宅に戻る前に焼酎を補充するために買い物をした。昨晩全て飲み干してしまったのだ。
しかし新たに買った物も数時間の命であった。
またしても一晩で飲み干してしまった。
私は早めに寝てしまい知らなかったが母が泥酔した模様

03.Apr.2007
仏壇搬送Tour
9:00出発予定だったが何故か10:26という「ちゅーと半端」な時間になってしもた。
おしりが長い借りた車で緊張しつつ出発。いつも通り16号を八王子経由で厚木方面に
向かうがやはりこの道は渋滞していた。
しかし橋本あたりでうっかりしていて気がついたら横浜町田から乗っていた。
天気は曇っていたが穏やかな気温だった。
普段夜中に一般道を走り距離を稼ぐのが し き た り になっている
われわれにとって昼間の高速道路はまさに天国。
明るいと景色も楽しめ高速道路沿いにも多くの桜が植えられているのがわかった。
三島あたりで富士山が見えるかと思ったが残念ながら見ることは出来なかった。
途中「伊豆」ナンバーを見かけた。そんなのもあったのか…
まあ「川越」もできるくらいだからな…

奈良の伯母の所には夕食時に到着。距離にして538km。高速料金は8300円だった。
今回はすべて高速を使った。伊勢湾を走っているときに横風が強く怖かったが
まだ暗くはなかったし走っている橋が美しく退屈しなかった。

奈良に着くともてなしてもらった。ビールと芋焼酎。皆元気そうであった。



白浜です。↑
05.Jan.2007
掃除をして10時半ごろ出発。
夜中の三時頃奈良の伯母宅を通り過ぎ岡崎から厚木まで東名。
5750円で家族四人渋滞もなく快適ドライブ。

二時頃に埼玉に着きそのまま大晦日に行ったところと同じ温泉に行く。

04.Jan.2007
新年初お通じ
失礼

元のオークワ(デパート)でレジを終え熨斗を待っていると知らないご婦人から白昼突然
「勝ちゃんの子か?勝ちゃんの子とちゃうんか?」(勝とはわたくしの父の名前である)
と腕を捕まれた。
ちょっと驚いたわたしはかろうじて肯定し頷く。
彼女曰く
「そっくりや」 家の近所ならともかく町の中心街にあるスーパーでの出来事に驚いた。
わたしはかろうじて別れ際に名前を聞いた。
「江津良のもごもご…昔の名前はもごもご…」あまりよく聞き取れなかった。

車を停めさせてもらっている義治さんに挨拶しに行く。健康的な赤ら顔であった。
「よっ」っと話し方まるで横山やすし。
話によると彼は「カワセミの湯は顔パス」らしい。

その後伯母の持つマンションを見学。
そして簡保の湯へ。
ここももんもん。
白浜での最後の晩

03.Jan.2007
母の鼾で寝られず。(後で聞くところによると弟も)
朝独りで散歩した。最初墓に参り、その後波止場で半時間ほど過ごす。
暖かく正月らしくない。久しぶりにこの時期来たからか。
いつもこんなには暖かくなかったはず。
帰り祖母の妹の娘
(こういう関係はどういうのだろう…小さい頃よく一緒に遊んだ女の子のお母さんだ)
と出会い挨拶をする。
変わっていないが少しこちらが大人になったせいか
わたしが子どもの頃よりよそよそしく感じた。
家族が昼食を摂った後、Hちゃんの家に挨拶に行く。
ここで面白い会話があったのだが一家の恥とも関係あるのでここには書かない。
ただひとつ問題が解決した。
それはメインの問題とは関係ない
(メインの問題は「よっしゃ!」と一言で片づけられた。
「よっしゃ」はここでは「あきまへん」の意味らしい…どうなることやら)。
解決した問題とは
和歌山から南下してくる国道42号線沿いにお店を出している親戚が居て
その店がどこかわかったのだ。
道中ずっと探していた。朧気にしか屋号を覚えていない父のヒントを元にすると
候補は三店あった。
もしそれが二店目だとすると「ちょっと景気は?」と聞くのも申し訳ないような
たたずまい。
幸い三つめの店で綺麗で大きなお店だった。
 Hちゃんのところから龍神へ向かう。
母の実家だ。
突然の訪問であったのだが、途中マグロを買って山道を行くが道が
よくなってすぐについた。道がよくなったせいでやたらにスピードを出す車が多く
何度も先に道を譲った。少しの間伯父さん達と話した後龍神温泉に向かった。
伯父宅から温泉に向かう車中で母が嘆いた。
事件はわたしが知らないところで起こっていたのだ。
いやむしろ起こらなかったから怒っていたのか?
これもHちゃん宅であったように一族の恥と関係するのでここには書けないが
後になって(これもまた鼾同様)弟も母と同じように感じたという。
我が輩は無神経なのでまったく気がつかなかったし(気がついていないのだから)
腹も立てようもなかった。言われてみればそうだな…と小一時間。

龍神から帰りは中辺路を抜けて戻った。ここも道がいい。

01〜02.Jan.2007
天皇杯TV観戦後白浜へ
秋の旅行とは逆に厚木まで一般道を走り厚木から沼津まで東名を使う。
後部座席に座った父はよほど窮屈だったらしく
夜中の二時に「もう新幹線で行く!」と言い出したり。
途中で一人揚げじゃがいもを食し気分が悪くなったり。
薬を買おうと勧めると「薬を飲んだら吐く」と訳のわからないことを言ったり
欲しくて買ったアイスが硬すぎ、熱いお茶をかけて食べた後、今度は
寒くなったらしく手袋をはめる。
おなかがふくれるとまた不平を言い出す。やれ「これではエコノミー症候群になる。」だの
ぶつくさ言う
二日の朝八時頃奈良の伯母宅に着き
伯父伯母また帰省していたいとこ夫婦&子どもとも会う。
最初初対面のその小さな子は恥ずかしがってわたしに近づかなかった。
しかし三時間ほど休ませてもらって出発のときになると
「お地蔵さん(わたしのことである)と一緒に行く!」と言って泣きやまなかった。
どうやら車に乗りたかったらしい。
白浜に着き白良湯へ。回数券を買って入る。もんもん着ている人が多いな。

14.Nov.2006
埼玉県民の日
両親と中津川渓谷へ


15.Sep.2006
朝,上沼恵美子の領地に到着
明石大橋
21.Aug.2006
午後からシュナイダー氏の所に行く。

19.Sep.2005 (2005年秋・東北泉都巡り・千秋楽五日目)
会津田島、喜多方、会津若松を抜けて今市、日光に出てきた。
日光から白根山、関越沼田ICに抜ける道は昨年親戚一同と通った道だった。
男体山はまだまだ紅葉していなかったが相変わらず堂々とした印象をもった。
日光で給油したが1リッター134円はないだろ!(怒)
戦場ヶ原を通り白根山を抜け、道の駅望郷の湯で洗面。
あちこちに(車で旅する)御同輩が…しかし皆キャンピングカーセダンでしているもの無し。
朝早くてまだ望郷の湯には入れなかったので神川温泉へと向かう。
そこでは地ビールは飲めるし、連休最終日の行楽地帰りの渋滞を避けるべく早めに埼玉入りしたかったのだ。
沼田インターで関越に入り本庄児玉で下りる。神川温泉へ地ビールを飲み入湯。
慣れた温泉で過ごすのも遠出をした後にはいいものだと思った。
そこからは自宅までそれほどかからないはずだったが買い物に行くため日高に行ったら曼珠沙華渋滞に巻き込まれる。

渋滞はそれほど酷くなかった。買い物を済ませ懐かしの我が家へ。(おしまい)

この旅行にかかった総費用は22kほど。格安だった。夜中に出れば距離も稼げるし皆さんもお試しあれ!

18.Sep.2005 (2005年秋・東北泉都巡り・四日目)
夜が明ける前に奥入瀬渓谷に行く。
紅葉前とは思えないほど緑はまだ力をもっていた。
無料休憩所のようなところで洗面をし少し散歩。早起き釣り師を見かける。
紅葉の時は美しいだろうなあと思いつつ渓谷沿いを走る。

その後再び十和田湖に戻り「乙女の像」を見る。風が強く雨も降っている。
(駐車場の料金を払わないように)7時に出発。

一路玉川温泉へ!
10時頃着いたがしかしすでに混んでいた。一番近い駐車場には止められず。
しかし思ったよりも遠くないところに車を止め温泉に向かう。
皆、侍のように背中に丸めた茣蓙を背負っていた。もうすでに温泉から帰る人たちもいた。
噂以上に広くて効きそうなところだった。
源泉は勢いよくぼこぼこと吹き出ているし、その先の岩盤浴の場所なんぞはまるでメッカだった。
おのおのが茣蓙を敷いて寝っ転がっているが、これちょっと姿勢を変えればイスラムである。
私の第一印象はまるで宗教のようというものだった。
玉川ムハンマド。昔千石イエスとかいたなあ…

もちろん私たちも寝ころんだ。岩盤湯はここがオリジナルだと聞いていたが何となく効きそうに思えた。
ごつごつとして平らな場所を見つけるのは簡単ではなかったが常連はジャガイモだの卵だの酒だのを持ち込み
あちこちから湧いている噴火口(?)に漬け込み(温泉卵や蒸かしジャガ・熱燗)を楽しんでいた。
帰ってから気がついたのだが私の敷いたタオルには穴が開いていた。熱蒸気が原因だと思われる。
しょっちゅう寝返りをしないと耐えられない。しかし心地の良いものだった。

またここを訪れる信者の中には(こういう書き方はよくないが)末期の病気のような人々も見られた。
藁にもすがる思いなのだろう。私も死ぬのだ。

岩盤浴の岩の荒野には露天風呂もあったが客の一人に
「ここに来たから『玉川温泉は寄らなくていい、』という考えは違う。(源泉も違うし…きっぱり)」
といわれ玉川温泉に入る。
略さなくて良かった。建物(木材がふんだんに使われており美しい!)もお湯も素晴らしかった。
ここを形容する言葉は見つからないが是非また来てみたい。

帰り際に胸から「パスポート」と書かれたカードを下げているおじさんとすれ違う。TDLか?ここは。
客層はご想像にお任せします。

次に向かったのは乳頭温泉鶴の湯
ここは日帰り入浴客は10時から15時まで可だったのだ。
われわれが到着したのは14時45分頃。
でも15時半くらいまでなら…と言われ入浴!
砂利底からわき出る湯と景色がたまらなくいい。
2回目だったがまったくガッカリさせられることはない。若い客も多かったし…
一度雪が降る季節に来てみたいと思う。

本当はもう少しゆっくりしたかったのだが同乗者の一人の予定がそれを許さず帰途へと向かう。
一度コンビニで酒を補充し一眠りしてひたすら一般道を南下する。
23時頃山形県天童市のファミリーレストランで食事。同駐車場で再び仮眠。
こまめに休憩を取りつつ19日へ続く。

17.Sep.2005 (2005年秋・東北泉都巡り・三日目)
朝食まえに散歩をし8時にレストランへ。
大満足の食事だった。和洋食のバイキング形式。デザートも飲み物も良かった。味も良かったしコーヒーも濃かった。
さすがサンタランド。敷地内をフィンランドからのサンタがうろついている。レストランでも声をかけてくれる。
こういうのがドイツであると、たいがいチップを払わねばならぬがここはJapan!チップはいらない。

紅葉には一月ほど早かったのでまだ客も多くはなかったが登山目的であろうグループがいくつかあった。
食後昨日仕入れたビールの瓶(と自宅から持ち込んだ6本の大瓶)を地元の酒屋に返す。
十二湖の青池を見てブナの原生林を歩き白神山地へ向かう。
青池はロイヤルブルー。またバクテリアが湧かないらしく水底に沈んだ樹木がはっきり見えて美しかった。

その後白神ラインを走る。舗装されていない。途中落石を跨いだら底をひどく打ってしまい
エンジンの音がうるさくなってしまった。私は車高が低くなっていることを失念していた。
(その後駐車場で確認。車の液漏れ無し)

2,3時間走っただろうか。アクアビレッジANMONに着く。
(ここでマザーツリーを見過ごした事に気付いた。…次回までのお楽しみ)
暗門の滝を見に入る途中、旅行に付き合ってくれた叔父さんが「みなみらんぼう」に気がついた。
暗門の滝への道は残念ながら台風の影響で封鎖(橋が流された)されており
行けなかったがその代わり原生林の中を楽しんだ。
再びビレッジまで戻り「らんぼう君」が来ていなかったか叔父が職員に尋ねると確かにいたという。
弘前大学で講演をして来たしい。(このことは後にY新聞に載る)
私はそこでソフトクリームを数年ぶりに食し出発。
弘前を抜けて十和田湖へ
まず酒屋を見つけ(いつ閉まるかわからないので)早めに買い物。
十和田グランドホテル南館の日帰り温泉に入れてもらう。
日帰り客用入浴時間を多少過ぎても照明が消えるだけで問題ないと言われた。
確かに暗くなっていた気がするがno problem
入浴後歩いて十和田湖畔の「乙女の像」まで行く。途中意味不明な中身の入ったジュースの缶達
帰ってきて先ほど買った酒を大飲みし寝る。
この日のお宿は十和田グランドホテル南館『斜め前』(観光局駐車場ともいう)

16.Sep.2005 (2005年秋・東北泉都巡り・二日目)
明るくなる時には日本海沿岸を見ながら走りたいという願望は果たせた。
平日(金曜日)だったので酒田市に入るのはラッシュ時間を避け10時頃に青森県の黄金崎に着く計画だった。
初めての道だったので地図を見ても今ひとつ距離感がつかめずにいたが予定より早く着きそうだった。
右側に鳥海山がくっきりと見えた。
うまくいけば青森の温泉では長湯出来そうだったが能代から日本海を北上しなければならないところを
いつのまにか弘前に向かう道を北東に進んでしまい一時間半ほどロスをしてしまった。
北秋田市(近年の市町村合併で出来た市らしい)とやらを過ぎ大館市の少し手前で引き返す。
さすがに疲れたので能代に戻った時点で同乗者に運転を代わってもらった。
能代から一時間ほど走っただろうか。とうとう着いた。
「不老ふ死温泉」
ガイドブックで見る写真に違わぬ素晴らしいロケーションにあった。
駐車場に車を止めようとした同乗者曰く
「あれっ?ここ来たことある(2年前らしい)」
ずーっとこの温泉の写真を見ながら最初の目的地について話していたのに…素晴らしい記憶力。
人生が二度美味しい。
お湯は茶色をしていて効きそうな湯だった。
仙台からの団体客と一緒になり「ようやくこちらの温泉に来ることがかなった。」と言っていた。
新聞など広告に出てすぐに応募してもなかなか取れないという。わかる気がした。ここからの夕日は素晴らしいだろう。
なおこの温泉の終了時間は日没時である。

入浴中に来年一月に出版される「るるぶ(青森)」の撮影が入る。採用されるか確認すること!
この晩は「サンタランド」という女の子が喜びそうなところに泊まる。とても広く天井も高い。
休日前にもかかわらず宿泊代は6kちょっと。
夜食はいかにも田舎の自治体が作りそうな建物群(失礼)の「ヴェスパ椿山」でワカメのちゅるちゅる麺麺を食べる。
夜は家から持ち込んだ大量の麦酒と夜の7時半で閉まってしまう駅前の酒屋で買った飲み物達を堪能。
よく眠れた。(当たり前か)

15.Sep.2005 (2005年秋・東北泉都巡り・初日)
この日の仕事が終わると行事と祝日で数日出勤せずに済む。以前から一度行きたかった白神山地に向かう。
帰宅後2時間ほど仮眠し21時半頃出発。関越で新潟まで行き日本海側を一般道を北上。
昨年10月23日の震災の大きさを車を運転していても感じた。関越は片側一車線だった。私が走った車線は
改修した後なのか、これからなのかわからないが道がふにゃふにゃしていた。
かなり長い区間工事をしていて規模の大きさが知れし運転をしていて怖かった。
新潟市からも山形に向かって高速道路が走っていたが新発田までの一般道が整備されていた記憶があった
のでそちらを走る。
深夜だったので交通量も少なかったし私もそれなりの速度で走っていたのだがものすごいスピードで深夜バスに抜かれた。
暗い街道では前の車を追うと走りやすい。しかし20分もしないうちに視界から消えてしまった。
この日は3時頃車を温海温泉近くのコンビニに止めて一時間寝る。前方から日本海の波の音が聞こえた。